多様な私たちの自然な協働

産業保健師という仕事をしていると、強い個性をもつ人が組織内で能力を発揮できないでいたり、ひどく傷ついて心身のバランスを崩してしまったり、また、周囲の人もその人の言動を理解できずに疲弊しているという状況について相談を受けることがしばしばある。相談に訪れるのは多くが管理職で、そういった強い個性をもつ人の上司だ。その人の個性や特性を尊重すべきだと思うし、そうしてあげたいと思っているが、他の人がしないようなミスが多く何度指導しても改善できなかったり、職場の誰かがその人をフォローしなくてはならず業務が増えて同僚が不満を強めていたり、どうしたらよいのかわからないんです、と。

そういった人たちの中にASD(自閉スペクトラム)やADHD(注意欠如・多動症)などの発達障害の傾向を持つ人もいると思う。しかし、多くはグレーゾーンであり、そもそも発達障害かそうでないかの明確な境界線はなく、診断をつけること自体にあまり意味はない。その人が持っている特性が所属組織の仕組みに合っていれば「よくできる人」と周りから評価されるし、合っていなければ生きづらさを感じたり所属組織に適応できなかったりする、というように、とても流動的なものだからだ。

多様な個性を持つ人が集まる方がきっと良いものが生まれるはずだと思うし、そうであってほしいと思っている。でも、このような相談を受けるたび、多様性について「それって理想論なのかなぁ」「現実的にはとても難しいことなのかなぁ」「全体にとってメリットがあるはずだよなぁ」とモヤモヤしてくる。

そんなとき、ニューロダイバーシティ(Neurodiversity)という言葉を知った。日本語では脳の多様性や神経の多様性と表記されるらしい。経産省によると、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこうという考え方であり、特にASDやADHDといった発達障害において生じる現象を能力の欠如や優劣ではなく『人間のゲノムの自然で正常な変異』として捉える概念でもある」とのこと。
また、急成長しているデジタル分野に親和性の高い人材として、発達障害のある人の特性が注目を集めていて、Harvard Business Reviewでも、“ニューロダイバースなチームは、そうでないチームに比べ、約30%効率性が高い”といった報告が出されているそうだ。

「なるほど。特性を生かして能力を発揮することができればチームの生産性も上がるんだなぁ。企業の成長戦略にもなっているのか。」

そして、しばらく考えた後…「でも、これってそんなに特別な話なんだろうか」「もっと自然なことなんじゃないかな」と思い直す。人には得意なことと苦手なことがある。自身の努力だけではうまくいかないこともある。だから助け合う。一人ひとりがきれいな□ではなく凸凹があり、凸と凹が組み合わさることで、彩り豊かな強い□になるのではないか。そういう当たり前な社会や人間関係の在り方を、私たちはもっと考えるべきなのだと思う。

近年、学校教育においても多様な人々との協働を重視している。小中学校新学習指導要領(平成29年3月公示)の前文には、「これからの学校には、一人一人の児童(生徒)が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる。」と書かれている。

もう少し多様性やニューロダイバーシティについて勉強しなくては、自分の意見を持つことが難しいと考え読み始めた『ニューロダイバーシティの教科書』。著者の村中直人氏の表現に、スッと腹落ちした。
「ニューロダイバーシティという言葉が“自閉症スペクトラム障害”や“発達障害”の別名であるかのように捉えられている場面も見受けられるが、多様性という言葉の本来的な意味に立ち返ると、尊重すべき脳や神経の多様性の持ち主は神経学的な少数派の人たちだけでなく、多数派を自認する人を含めたすべての人をその視座に捉える非常に懐の深い言葉であると思う。」

多様である私たちが自然に手を取り合って生きる世の中に!

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